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教育講演会レポート
2024年3月26日
穏やかな快晴にめぐまれた2024年2月24日(土)
同志社大学今出川校地 寒梅館ハーディーホールにて、2023年度教育講演会が開催されました。
当日ご参加いただきました皆様には、心より御礼申し上げます。
最初に、井上奈々子父母会会長より、日頃の父母会活動におけるご理解への感謝の言葉とともにご挨拶いたしました。
続いて、経済学部長 宮本大教授からもご挨拶とともに、お言葉をいただきました。
ようやくコロナ禍も明け、今年度は通常通りの父母会活動の開催にいたることができたことを、お話の中で思い出し、感慨深い思いがいたしました。
はじめに、経済学部 奥田以在准教授より「 “町” (ちょう)から見た京都 」というお題で、ご講演いただきました。
今回、「町」という字を(ちょう)と、お読みになってお話が進みましたので、まずは、そのことについて当日のお話から引用させていただきます。
私たちに馴染みのある「町(まち)」としての意味合いは、都市全体、また売買、交換の行われる空間 として少し無機的なイメージがあるのに対し、「町(ちょう)」というのは、都市内部の生活共同体としての地域であり集団であるという捉え方があり、京都には、こちらがふさわしいのでは、というご説明をいただきました。
京都の住所表記には、上ル(あがる、北に行くこと)、下ル(さがる、南に行くこと)、東入ル(ひがしいる、東に行くこと)、西入ル(にしいる、西に行くこと)という表現が含まれるものがあります。
これは、同一区内に同じ町名があることから、特定するには、通りの名を表記する必要があったので、そちらに対して、添えられる表現だったのです。
現在では省略された住所も使われているようですが、より適切なのはこちらだということでした。
町(ちょう)は、道の両側に家が建つ空間構造だったので、道は町(ちょう)にとってのプライベートスペースでもありました。
そして一つの町(ちょう)は、30〜40軒くらいの家で成り立っており、居住者をよく把握されているので、支配機構の末端に置けば、行政の指示が届きやすく、民衆からの意見も伝わりやすいというしくみがありました。
また、時代の流れの中で戦乱が多かったので、人々が常に危険な環境で暮らしていたこともあり、それぞれの町(ちょう)の出入口は木戸でふさがれており、砦とか要塞といった役割もありました。
現在においては、祇園祭りの際の夕方に、町名のはいった提灯が立つことで、当時の出入り口がわかるそうなので、お越しの際には是非ご覧になってみてください。
そして、町(ちょう)に住むことを敬遠された職業の紹介があり、武士、米屋、材木屋、鍛冶屋、油屋などがあげられましたが、町(ちょう)にとって危機の原因になりかねない職種について排他的だったわけです。
当時は、士農工商という身分制度ももちろん重要でしたが、町(ちょう)で暮らせるということは、住民からの信用、職業的な信用があってこそ得られる権利だったわけです。
厳しい条件を超えて、長い年月住み続ける隣人に対しては、困った時に、町(ちょう)から扶助してくれる仕組みもありました。
排他性と相互性を併せ持つ独自の在り方が、このようにしてはぐくまれていったわけです。
長く住めば住むほど、京の伝統が感じられる独自のコミュニティの在り方が定着しました。
町の内部構造としては、構成員は、家持ち(不動産所有者)と借家人に分かれており、重要な意思決定や、祇園祭りの支度は家持ちのみで行いました。
力仕事的な内容であれば、借家人も参加したそうです。
さらに一つの町(ちょう)だけでできないことについては、複数の町(ちょう)が集まって、「長組(ちょうぐみ)」がつくられました。
ここで、興味深いのが、なぜか近所の町(ちょう)同士では組まず、ばらばらな地域同士でつながった傾向がみられるそうです。
なぜこのような選択をされたのか、今後の解明にとても期待を感じました。
さらに、町組と役所をつなぐ仕事として「町代(ちょうだい)」がうまれます。
伝達、雑務をこなし、町(ちょう)から定額を支給される雇われ人でしたが、次第に町奉行と密接につながりを持つようになり
名字帯刀を許される者もあらわれ、給金も役料という名に改められ、立場的にも、幕臣 という扱いに代わっていくのでした。
1868年(明治元年)には、第一回目の町組改正がおこなわれます。
翌1869年には、二回目の町組改正がおこなわれるとともに、鳩居堂7代目の熊谷直孝をはじめとする町人の活躍によって、日本初の小学校である柳池(りゅうち)小学校が誕生します。
長い時間をかけて発展してきた自治組織としての町組の在り方、そして新しく確定された町組が学区へとつながり、柳池小学校の開校と同年に、京都ではあわせて64もの小学校が開校しました。
明治維新とともに、平安京の時代から続く都を、京都から東京に移され危機を感じた町民たちは、近代化を支える京都の第一歩として、人材の教育に着目したのです。
伝統的なものを一気にひっくりかえして、一新していく気合は、移り行く時代の随所で遺憾なく発揮されて、現在の京都があることを実感しました。
新旧がいりまじった町、京都。
町衆の町、京都。
奥田先生、ありがとうございました。
後半では、父母会行事の京都観光でも大変お世話になっている、らくたびさまにお越しいただきました。
森明子様より「千年の都 京都 バーチャルツアー “移ろう季節は 梅から桜へ”」というお題でご講演いただきました。
今出川校地の近くだけでも、すでに、京都御苑、そして二条城といった素晴らしい名所が思い起こされるのですが、
まち全体が歴史博物館ともいえる京都は、今から約1200余年をさかのぼる桓武天皇の時代に
奈良の平城京から、京都の長岡京へ、そして長岡京に代わる都として北と西と東を山で囲まれた平安京に都が移されました。
盆地の気候といえば、夏は暑く、冬は厳しい寒さが大きな特徴としてよく知られるところですが、
その分、穏やかな春のよろこび、秋の美しさが際立って感じられるという、世界的にも珍しい気候条件が備わっています。
三か月ごとに、季節が明確にうつりかわる環境だからこそ、歴史が花とともに語られる場面も少なくないのかもしれません。
梅の原産は、おそらく中国で、奈良時代以前に日本にはいってきたといわれています。
梅は花のあと実がなり、「うめ」という響きが「産め」につながることから子孫繁栄の象徴ともいわれ
さらに、その実が薬として重宝されてきました。
万葉集の和歌に詠まれる花は、一位の萩に次いで、二位は梅だそうです。
しかし、時が流れて平安時代に編纂された古今和歌集では、一位が桜、そして二位が梅という変化をとげています。
桜という花の由来は、日本の女神の御一人であられる美人で有名な木花咲耶姫(このはなさくやひめ)のお名前からつけられたそうです。
遣唐使が廃止され、自分たちの国の文化をみつめなおす流れのなかで、日本の花として愛されていくのですね。
そんな梅と桜を堪能できる場所について、たくさんご紹介いただきました。
菅原道真公を御祭神とする北野天満宮では、管公がこのまれた梅の花が様々な種類で植えられているので、開花の時期がずれることで、長い期間、おたのしみいただけるそうです。
そしてこちらの門前名物として紹介された「粟餅」がとても印象的で、食感がぷちぷちとしていて、とても美味しいそうです。売り切れ次第終了となってしまうそうですのでお早めに。
そして、京都御苑では、梅の見ごたえもさることながら、そのあと桃、桜と続きます。
平安京がつくられたとき、都の南をまもる場所として信仰をあつめたといわれる城南宮では、柔らかな緑色の苔の上に、咲いたままの椿の花が落ちて、ひっそりとしたたたずまいをみせる中で、美しいしだれ梅がいっせいに咲き誇る画像が紹介され、幻想的な美しさが心に残りました。
桜の開花宣言は、それぞれの都道府県で、標本木としてさだめられたソメイヨシノに五、六輪花が認められたら出されるそうですが、京都の標本木は二条城にあるそうです。
ただ、ソメイヨシノは開花のあと、五日間くらいで満開を迎えてしまうのですが、京都には、大変たくさんの種類の桜が植えられているので、ほぼ一か月間は、さまざまな場所で桜をみられるようです。
平野神社では、その年の初めての開花となる「魁(さきがけ)」という名の桜を皮切りに、60種類もの桜がつぎつぎと開花してくれるそうです。
そして、御室にある仁和寺では、京都の春の最後を飾る桜が有名です。
樹高が低めなので、目に近い高さで花をご覧になれそうです。五重の塔と桜を一緒に撮れるスポットもあるようで、こちらもたのしみですね。
桜の時期と重なり、山科、琵琶湖疎水沿いの菜の花、桜が終わって、東福寺、南禅寺では、新緑が美しい青もみじ、妙満寺、長岡天満宮ではつつじの花が、特に宇治にある三室戸寺では、山全体に咲くつつじが、色とりどりにパッチワークのようにひろがる画像をご紹介いただきました。
まだまだ続きます。
太田神社のかきつばた、乙訓寺の牡丹、長岡天満宮の京たけのこなど。紫陽花も有名なところがありますよね。
もう、春もすぐそこです。
そして、いつ訪れても、季節が織りなす美しい景観をもって迎えてくれる京都。
これからも、何度でも訪れたいです。
森明子様、ありがとうございました。
このあと、西澤直子副会長より、閉会のご挨拶をいたしました。
関係者皆様のご尽力をいただきまして、このたびも大変すばらしい会となりましたことを心より御礼申し上げます。
こちらをもちまして、今回のご講演の報告とさせていただきます。
副会長 中井 光代
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同志社大学 経済学部父母会
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